昭和49年04月25日 朝の御理解



 御理解 第4節
 「此方金光大神あって、天地金乃神のおかげを受けられる様になった。此方金光大神あって、神は世に出たのである。神からも氏子からも両方からの恩人は、此方金光大神である。金光大神の言う事に叛かぬ様、良く守って信心せよ。まさかの折には、天地金乃神と言うに及ばぬ。金光大神、助けてくれと言えば、おかげを授けてやる。」

 私共の心の故郷を「御霊地、御本部だ」云う風に申します。確かに金光大神の信心によって、私共の心が生まれ変わったのですからね。ですからやはり心の故郷です。心が変わってない人は、心の故郷じゃない。今日その御教えを頂いて、そして生き方在り方が変わって来て、心が言わば変わって、そこで心が生まれ変わったのですから、やはり御霊地が心の故郷と云う所以であります。
 同時に私はこの金光大神が「氏子からも神からも両方からの恩人だ」とこう言われる程しのどう云う事かと言うと、心の故郷が御霊地なら、私共の肉体の故郷いわゆる「天地より出でて天地に帰って行く」と云う事。此の事を天地金乃神様のお知らせに依って、金光大神は私共に知らして下さった、判らして下さったんです。言うならば天地が親と云う事。天と地の合間からと云うかね。両親から子供が生まれて来る様にです。天地より出でて、天地に帰って行くんです。そう云う大変な事を私共に教えて下さった。
 最後の所に、「まさかの折には、天地金乃神と言うに及ばぬ」と「金光大神助けてくれと言えば、おかげを授けてやる」と、私はこのまさかの折と云う事がです。私は最近、もうそりゃ小さい意味でなくてね、只交通事故に遭うた時に「金光様」と言うたと言う意味の事だけではなくてね。大きな意味合いにおいての、今地球はまさかの時にあると思うんです。地球上の人間の皆にそれが言える、と言う感じが致します。先日の御月次祭の時に聞いて頂いた事ですけども、もう一遍その辺を聞いて頂きたいと思う。
 あれはカナダのユリゲラーとか何とかと云う、いわゆる超能力者です。もう全世界にこの事が評判になっておる。評判になっておると云うか、言うならば静かなね、静かなその人間の、愈々ぎりぎりの事を、思わせられる様な物を感じる。あの超能力によってです。又は、二十五年後に、地球の破滅とか人類の破滅とかと言う様な予言が、的確に、ここ四百年間ずっと続いて来ておる事が、的確に当たってき手おると云うような事やらもです。是はもう本当に、超能力に依らなければね、地球の救い様がない。
 地球上の人間の救い様がない。昨日久留米の記念祭で頂いて参りましたカレンダーですね。現教主さまの御詩を池部先生が、それこそ見事な筆跡で書かれた三十一日間の御詩がずっと出ておる中にも、教祖様の御教えの中にね、そういう意味の事を仰っておられるです。言うならば、自然の働きと云う物が判らずにそれを粗末にするから、地球上、いわゆる地上と言ってる。地上に難儀な事が次々に起きて来るのだと言う意味の御詩が、昨日私一寸バラバラと見せて頂いた中にありました。
 そのユリゲラーの事を、英国でお書物が出ておると云う、心霊科学かなんかの、いわゆる学位を持った人が、それを色んな解説をしたご本だそうですが、ああ云う人は、何千年に一遍と云う様に、地球上に現われるんだと、それは、宇宙からやって来ると云う風に表現してるそうですね。私もですね、私もそれを感ずるんです。私自身も。私は是程、今皆さんに、「一つ本気で信心をさせて頂かなければ」と云う事を言っておる。それはもう小さい意味でのまさかじゃない。
 大きな意味合いにおいてのまさかの時がもう近付いて来よるんだと。昨夜休みながら色々と頂く事が、テレビを見せて頂いておりましたら、名前は忘れましたけど、霊能者です。若い綺麗な娘さんです。柏手を二つポンポン打って、こう冥目してから、色んな事を答えるんです。只今恋愛中と云う若い人達に、恋愛の結果の事を言ってるんです。そりゃもう真剣そのもので、他ではワーワー笑ったりしてるけども、それをやっておる人はまだ若い綺麗な娘さんの様でしたけど。
 こうやって柏手を二つ打って、御祈念しばらく致します。そして目をつぶりながら、「只今海の潮の水が引いた所を頂きました。私の霊眼に見えます。タコが二匹上がってきております」皆が大笑いしてますけど、そりゃやっぱり自分の見たとおり。「けれどもこれは必ず又波が満潮になって来ると、これは波に呑まれて、結局結論を言うと、この恋愛は駄目に終わってしまいます」と云う様な事を言ってるんです。
 私はそれを見せて頂いて、ははあ私が頂く言わば御神眼、霊眼ですねいわゆる、と同じ様な事を、言うなら、言っておるなあと私は思たんです。そしたら『神様がね、片手にコスモスの花を三本こう持ってるんです。その一本はもう枯れてるです。二本がまだ生き生きしてる。そしてこちらの手に、丁度精露丸ですね、あの真っ黒い丸薬があるでしょう。の様なそれを何かの種だと言う風に感じるんです私見てから。 
 この人の言わば先祖に、言わば徳を積んだ人があってね。そしてそう云う霊能的な物は、何かの機会にいろいろな事が判ったり、千里眼的なその事が出来る様になる事実があるんだ。けれども、そう云うのはちょうどですね。根からの物ではないですから、親から、もう親もずっとその代々、そしてちょうど一つのお徳と云うか、力を受けれる所に生まれ合わせた人なんです。
 ですからそれは丁度、コスモスの手折ったのを片手に持っておる様な物で、是は暫くしたら、そう云う霊力は無くなってしまうんだ』と云う意味の事を頂いた。なら私の場合はどうかと言うと、私の場合は、『苦労の種がまいてあるのだと、言うならば、信心修行の、苦労の丸薬の様な、私は苦労の種だとこう思うておる。言うならば、修行の種と言う具合でしょう、苦労の種と言うよりも。
 修行の大本が出来ておって、芽が出てきたり、花が咲いて来たりしておるのであるから、それとはね、形は同じであっても、違うんだ』と云う意味の事を頂きました。私が色々お知らせを頂くのは、そう云う訳です。それで私のは、益々それが冴えて来る。私のは、益々それに力を得て来る。私のは、益々それがおかげになって来る。例えばなら、私が言う所です。例えばこの結婚、昨日のそれで言うなら、この恋愛はもう駄目に終わります。結果はこうなります。と答が出てもです。
 私なら、「さあそこからが信心ですよ、本気で一生懸命に一緒になりたいなら、本当な信心でもさしてもろうて神様にお縋りしなさい。円満な結婚にも入って行けますよ」と、私はそこからが違うです。その力がない。私の場合はそこに、それから先の力がある。言うならば、出来ん物でも出来る様に、もう寿命であっても助かる様に、言うなら、もう枯れ木であってもそれに花が咲く様なおかげが頂けれると云う所が、私の信心のそう云うのとは違うのです。
 私は、是はもうしきりに何時も思う事ですけど、昨夜はその事をしきりに考えたんですけれども、本当に私が頂いておるこのおかげ、私の頂いておるこの心の状態と云う物は、決して何十年前と、今日は同じじゃない。昔はやっぱり、もうこすい事もするし、ずるい事も思うたり、汚い事も平気でやったり、言うならば、皆さんと同じ、皆さんと言うたらいかんけど、皆さんはそげな事はないかも知れんけども、本当俗物であったんですけれども、一度愈々信心の眼が開けて来て。
 信心さして頂く様になって、今日私が心の上に助かっておる事、心の上に有難いと思うておる事、又その心の上に伴うて来る所の、人間の幸福の条件のすべてと言うて良い程しのものが、是に伴うて来ておると云う事。だからこのおかげをです。皆さんにもどうか頂いてもらいたいと云う、思いもう切です。こんな場合にこの様な心の状態でおれるなら、どんなに有難い事だろうか。そう云う心の状態になると、こう云う様な言うならばご利益です。言うならおかげも此の様に頂けれる信心がある。
 こう云う世界が、有難い世界があるんだから、皆にこう云う世界に住んでもらいたい。こう云うおかげを頂いて貰いたいと云う思いは切ですから、それをどうしたならば、皆に判って貰えるかと云う事なんです。嘘じゃない。私は現物をここに見せてから言ってるんですから、空なものじゃない。私を見て下さい。私はかくおかげを受けておると云う物を見せて、皆さんに説いても、明かしても、それを皆がよう頂こうとしない。
 又はそれをどうかして信心の無い人にでも広げて、幸福を願わない者はありますまいから、本当に幸福を願うならばこう云う在り方にならなければいけませんよと、本当に言うて回りたい思いがするんですが、昨夜はその事が特に切でした。そしたらこの大祭からこちらここに非常に奇跡的なおかげが多い事です。そこが人間の言わば救い難い所なんだと、そこで人間にはどうしてもいっちょね。やっぱりアッと云う様な働きを見せなければ付いては来んぞと、私の心眼に頂くのが『きじん草』を沢山頂くんです。
 知っとるでしょうきじん草と言うて、耳の病気になんかにする。知ってるでしょうきじん草と言う花がある。草がありましょう。だからならきじん草と云う事はどう云う事かと言うとです。それこそ奇跡的なおかげでも見せなければ人間と云う奴はもう、こんなに幸せな道があると言うてもそれを知らん顔したり、そう云う様な事があるもんかと言うて疑うたりするからもうそれこそ。
 もう是を見れと言わんばかりのおかげを見せなければ出来んのだと。是も重複致しますけれども、なら先日のお月次祭に申しました様に、私はお月次祭のあの朝頂いたお夢です。もうそれはもうまざまざとしたお夢です。もうそれはまざまざとしたお夢であった。『私が大空に向って、南側の方の空へ向って、私が絵の具と筆を持って、絵を描いてる。それが松の絵を描いてる。
 そして大空の真ん中の一寸寄った方の所へ、また同じ絵を描いておる。それを合楽のご信者さんと思われるご信者さんが、暗くしてますから顔は判りませんけど、皆でそれを見ておる。それを、はっきり判るのが、善導寺の久保山のお母さんと、私の方の若先生、是はどう云う訳だっただろうかと思ったけども、やはり若先生と云う事は、私の長男と云う事だし、久保山先生と言やあ、信心の上での長男の奥さんですから、言うならばと言う意味じゃなかったかと今にして思うんですけれどもね。
 その二人がですね。もうこう云う素晴らしいこう云う大変な事をです。世界中の者にこれを、こう云うおかげが受けられると意う、こう云う素晴らしい奇跡的な働きを見せるならば、言うならば、いかに信心が、神様があるの無いのと言う人でも、神様を信じん訳にはいくまいと話し合っておる、もうその次の瞬間には、黒い雲でサアーッと消えて行く所』を頂いたんです。私がね、止むに止まれん、例えば、私の一日を見られたら本当に厳密に言うたら、それはもう大変な奇跡なんですよ。
 合楽教会に起きておる事柄と云う物は、それがもう当たり前の事の様になってしまってますけれどもですね。それはもう私が頂いているおかげと云うのは、そりゃもう大変な奇跡的なおかげなんですよ。例えて言うと、先日あのう、桜井先生の、私が石けんを大事にする。先生がああなさるからと言うてそれをさして頂いたら、それ以来石けんの不自由は致しませんと。そう云うおかげが、石けんだけではなくて、もう一切の上にそうですから、こげな奇跡的な事はないです、実際は。
 そう云うなら私がおかげを受けておるとをです。本当に研究する人があって、見に来てから、そう云う風なおかげはどうすりゃ頂かれますかと言うて本当に追求して来たり、求めて来るならばです。「こうしなければいけません。こうあらなければいけません」と教えるに違いありませんです。今合楽ではです。そう云う意味でです。何かもう、まさかの時が近付いて来ておるから、信心は出来んでも、なら、奇跡的なおかげの受けられる様な状態になって、入っておると云う事です。
 それにはなら、昨日私が、皆さんにも聞いて頂きました様に、信心辛抱の力、辛抱力を作んなさいと、私だけじゃ出来ん。皆さんがそう云う辛抱力を作って、その力を持って私が表す所のおかげをキャッチして行く。行くおかげを頂きなさい。そして皆さんがです。なら、私が受けておる様な、もう兎に角毎日毎日が不思議でたまらんと云う様なおかげを頂いたならです。それを人にどうか言わなければおられないだろうとこう思うです。ちょっとほら見てみなさい。
 あの空を見てみなさい。もうあっと言う間ですからおの、皆がそれを見てないですけれどもです。私がお夢の中に頂いた様に、こう云う事が出来るだろうかと、地上から空へ向かって絵を描いたら、それが見事なカラーの松の絵になった。二所に、それを見た例えばなら、久保山と勝彦はです。この素晴らしい、こう云う素晴らしいものを言うならば、大空に表して、世界中の者が是を見てから、神様を信じ、信心する様になり、そして地球上にです。来ておるまさかの時、言うなら、危機存亡の時と申します。
 そう云う時にです。「金光大神助けてくれ」と言えれるです。信心を今こそ本気で身に付けておかなければいけないと、私は思うのです。こげな難しか、私は是は御祈念の中に申します。目の無い者には目を、足の無い者には足を、そげなばかげた事がと言うけどもね、そう云うおかげも受けられるのです。もう自分のとは失明してしもとるけんで、もう駄目じゃろうてなんてんちゅう事はないです。駄目じゃろうと思うてから願うたっちゃおかげになるはずはないじゃないですか。
 親先生が言われるとじゃからおかげになると信じて、おかげ頂かにゃ。それこそ枯れ木に花が咲く様なおかげを頂いて見せんとです。信心のない者は分からんて、言う事聞かんて、どうかして言う事聞かせなければ、この人たちが助からんのだと云う事ですよ。教祖金光大神は、そういう大変な、心の故郷を御本部と言うならばです。お互いが本当に、心の故郷を御本部と思える様な、心の生まれ代わりをまず頂いて、そして金光大神説かれる所の、天地の大恩、言うならば。
 「天地から出でて、天地にまた帰って行く」是が人間なんです。だから天地は私共の故郷なんです。その故郷の方からです。子供達の私達に言うならば、警鐘を乱打して「真の信心を頂かなければ、真の信心を頂かなければ」と言われておるそういう言わば、警鐘乱打のまあ一つの現われがです。あのユリゲラーの様な物だと云う事なんです。何千年に一遍しか現われないと意う程しの人、私もだから自分もそう私だと、私はそう私は信じます。だから私は本当にそれを言うて回る訳にはいけんのだから。
 皆さんに奇跡的なおかげを頂いてもろうて、その奇跡を皆にも見せて、「ほうそげなおかげを頂ける神様ですか」と、皆さんが皆さんの周囲にどんどん出来て来る様なおかげを頂いて、愈々大きな意味においてのまさかの時にです。世界中の人類がです。「金光様」と御取次頂ける様なね、おかげの働きを私共がなして行かなければいけない。此の様な奇跡を私は毎日表しておるじゃないかと、それをもう少し厳密にです。本気で研究して見る気にならなければいけないと思うですね。
   どうぞ。